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copen 2 現在買える軽唯一のオープンカー(20115月現在) [車ネタ]

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購入から2ヶ月近くたった。

丸っこいデザインは大変気に入っている。オープンスタイルで乗ったことは無い。多分これからもオープンで乗ることはあまり無いのではと思っている。
 じゃあ何で買ったのかと、突込みが入るところだろう。ルーフを閉めたスタイルもなかなか良い。
花粉症の私は春は当然ルーフは開けられない。
夏は日差しが強くあけられない。
冬は寒くてダメ。
秋にはあけるチャンスがあるかもとも思ったが、ロールゲージがないとボディの強度が心配だなどと考えてしまうと閉めたままになってしまうだろう。
当然、同じ理由でダートもダメ。タイヤもなさそうだし。
風を感じたければ窓を開ければ良い。
せっかく買ったオープンの意味は無いのですがそれでも良しです。

買った車はAT車ですがやはり燃費が気になるところです。
今までは軽トラックだったので比べるのもなんですが、思ったほど悪くない。
ATで乗ると変速点が高く感じられる。その為私は必ずマニュアルモードで運転するのだが、軽トラックの1割減と言ったところか。2ヶ月の集計で約11.5Km/lくらいか。
そんなこんなで燃費を気にしている私だから、車の走行の感想は言えない。
楽しさで言えば、燃費を気にする必要が無い軽トラのほうが・・・・。

マニュアルモードといえば、マニュアル車のエンジンブレーキのつもりでシフトダウンすると、時間差があって怖い思いをしてしまった。


私の感想はそんなところですが、家人は今まで軽トラックに我慢してくれていました。
車を変えて喜んでいるので私も満足かな。

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写真上下 撮影 携帯 夕暮れ時なので手ブレ御免


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copen [車ネタ]

4ヶ月ぶりの更新。
4年ぶりに車を変えました。
ダイハツコペン、年式が経ったものなら、だいぶ値段もこなれてきました。
長所短所はネット上でのとおりのようです。
ほんとはカルマンギアが希望ですが、経済的にも無理なようで、ダイハツに落ち着きました。

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ダイハツに乗るのは何年振りでしょう。30年弱ぶりかな。
以前に乗ったのはフェローマックス。
2ドアハードトップでした。先輩が40psのエンジンらしきものをくれたのですが、キャブが無いのでワンキャブで乗っていました。
結構、気に入って足として一年くらい乗っていました。

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今回のダイハツも2ドアHTです。

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初めてのターボ、オープントップ車です。(サンルーフすら買ったことはない。)

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ロールゲージを入れたいが、家人からあっさり却下との返事。

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撮影MINOLTA DiMAGE Z1
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ローラT70MKⅢ タミヤフェア2010 [車ネタ]

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意外なところで懐かしい人にあった気分だ。と、言っても私はこの実車を見るのは初めてだ。

今日は家の者の用事で静岡メッセまで出かけた。
用事が終わるまで時間をどうやってつぶそうか考えていたが、たまたま「タミヤフェア2010」をやっていた。
http://www.tamiya.com/japan/tamiyafair/index.htm
タミヤといえばプラモデルの有名なメーカーだ。
無料ということもあって中をのぞくと車が並んでいた。
レクサスの何とが初めに目に入ってきたがすぐにその次の赤い車に目が移り、釘付けだ。
車体の横にはTAKI RACINGのロゴ、ドアの上にはM・HASEMIと書いてある。
第4回日本グランプリ?の車と思ったらなんと、「はずれ」。正解は第5回日本GPのようです。
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/5thJapanGp.html
第5回日本GPの優勝したポルシェカレラ10のカラーリングが色違いだけど同じデザインなんですね。
説明が書いてあったような気がするが読んでこなかった。

(考えると名前が、もう一人書いてあったようだがもしかして日本GP では無く何かの耐久レースの仕様かな?それとも当時は補欠のドライバーを登録していたと記憶しているがその登録ドライバーなのか?)

子供のころ雑誌の中で見た写真のマシンだ。この車の詳しいことは分からない。
しかしどこか懐かしい懐かしのヒーローに会った気分だ。
綺麗なボディは今では見られない曲線を描いてとても美しい。オートルックのステッカーも懐かしい。
コックピットも現代のレーシングカーより簡素で質実剛健な印象だ。
エンジンの上の8本のエアファンネルからはキャブレターの吸気音が聞こえてきそうだった。


会場ではラジコンカーのレース、ラジコンの戦車の対戦ゲームのような試合も行われていた。

地元の企業のタミヤフェアにしては入場者はこんなものなのかな。
子供もいたが主役は大人という印象だった。
ガンダムもメイドさんのフィギヤァもないからかな?
そのほかにも懐かしのバハ仕様のVWや自衛隊の装甲車?などなど、さすが戦車の実車はなかったけど。

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写真は全てカメラを持っていかなかったので携帯で撮影
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バイトで買える車。KP61スターレット [車ネタ]

バイトで買える車。
当時のコマーシャルのキャッチですが、携帯電話が無いころはバイトでお金をためて車を買ったのですね。
(最近は携帯でお金を使うので貯金もあまり無いらしい)

KP61スターレット
レース、ラリーの入門車で活躍しました。
一時ラリーではAクラス(1300cc以下)では他を圧倒していました。
ワンキャブ、4速、3ドアが基本。EFI車もありましたが回らないエンジンは競技では使えません。

乗っていたファミリアをナビゲーターをやってくれていた友人に車を売り、浮気心を起こしてBMW2002の中古を購入しました。一年BMWを所有していましたが競技にナビの車で出るのもやはり長くは続きません。

ラリーのシリーズを追いかけて見たいという気持ちや、身の回りの変化などもあって実家に帰る決断をします。
実家に帰り会社を辞めた退職金でKP61スターレットを買いました。
すでにスターレットも販売から長い時間もたちラリーでもスズキカルタスが台頭してきました。
スターレット自体も時期KP71の販売がささやかれていました。
注文すると1週間もしないで納車になり、その日のうちに車内の床のカーペットをはがしてました。

当時、有名ではありませんが地元でマイナーツーリングのレースをやっているメカの方にお願いをしてチューンしてもらいました。農家の庭先のガレージにMT仕様のサニーがおいてあるようなガレージです。富士フレッシュマンシリーズのMTレースでは常にトップクラスの方でした。

自分でアンダーコートまではがして持っていくと一ヶ月くらいで完成したと思います。
トヨタの車は当時の車の中でも有名なくらい車体が弱くスポット溶接が少ないということでした。
レースでは行われていませんがラリーでのスポット溶接増しは必要なチューンでした。これが面倒でもあります。
当然エンジンはノーマル。
ロールバー、足回り、ガード類、等基本のところ飲みの改造です。お金が無いのでミッション、デフはノーマルです。
KP61に関しては詳しいことを書いてあるサイトがいくらでもあると思うので車自体はそちらを参考にしてください。
私は以前からトヨタの車には興味はありませんでした。
しかし、ラリーで戦績を残すためにはトヨタの車が必要でした。
安く、豊富なパーツ、情報は大きな武器です。稚拙な運転テクニックは優れた道具(車)でカバーするしかありません。ファミリアもいいのですがやはりラリーでは勝てる車ではありません。
最終的にはクロスミッション、LSD、等もつました。
そういえばミッションはトヨタはすごいなと思ったことは、分解組み立てが非常に楽ということです。
当時のマツダ車のミッションは硬いという評判でした。
硬いと言うのはギヤーのシフトが硬くて入りにくいというう事ですが、整備するとき、ギヤを分解すのが硬いのです。
しかし、トヨタのミッションはスカスカと分解できるのです。
自宅で専用工具も必要なくクロスミッションを組みこみました。
ミッションのパーツ代が新品で10万円くらいだったと記憶しています。なぜ中古を買わなかったのか今では覚えていませんが見つからなかったのかもしれません。LSDはASS`yで中古を購入しました。
エンジンがまた壊れない。
日産サニーのA12と同じくらいこの4K型エンジン(型式は詳しくないので確かとは思うのですが)は名機といえるのではないでしょうか。
このグレードにはタコメーターはありません。スターレットを使用している方に聞いたところ大森の小さなタコメーターをハンドルポストの上に一個つけておくとのこと。
シフトはエンジンがサージング(エンジンが回らなくなって)起こすまでまわしてから変速するとのこと。
「壊れないよ」の一言です。
「じゃあタコメーターは何のため?」といったら
「車検のとき3000rpmまでまわすでしょ。」ラリーの車検時に騒音測定で3000rpm回すときのためというのです。私もそのかわいいメーターをハンドルポストの上につけていました。
全くと言っていいほど何もしませんでしたが最後までよく回ってくれました。

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某雑誌から拝借 86年8月埼玉のラリー すでに車両がノーマル化ロールバーも無く補助灯にはカバー、アルミホイ-ルも純正以外は禁止。でもがんばって走っています。
そしてこの車での結果は。
最初に狙ったシリーズは東京フレッシュマンシリーズ。
気持ちはその上のクラスをやりたいのですが、規定で出れないのでフレッシュマンクラスからということになります。
年間6戦を計画しました。そのほかにも何戦か練習の意味を含めて出ました。
戦跡はいうとナビのおかげで何戦かは入賞というところでした。
翌年、お待ちかねの上のクラスのチャレンジシリーズにエントリーです。といっても格式は地方戦なのでフレッシュマンと変わりませんがアベレージ速度は若干上がってきます。早いラリーはお金もかかる。
東京シリーズといっても埼玉が中心になってきます。この年も年間6戦を予定しましたがシーズン半ばでクラッシュしてその後のラリーには出れませんでした。
その翌年はそこそこの成績ですがお立ち台に上がることは一回も無く入賞がやっとです。
すでにカルタス、EP71スターレットが登場してきました。それを思うと悲観する成績でもありません。

そしてラリー界が大きな転機を迎えました。
車両のノーマル化です。
サスからミッションからすべてロールバーまで禁止という。車検に合格しなければいけないということになったのでした。
はじめの一年は車体をノーマルに戻して出ましたが出場車両は大幅に減ってしまいました。
前年までの盛況ぶりを考えると驚きでした。ラリーの台数制限で60台。ABクラスだけで20台でした。シリーズのポイントがないとエントリーを受け付けてもらえない状態だったです。
すでにKP61で出ているのは私たちだけになってしまいました。成績は台数も減ったのに出場者の中盤をキープがやっとです。

その翌年はラリーのイベント自体でも規制が始まり、公道すべてでの60km/hを超えることは許されないとなって開催自体が危うくなっていきます。
私もすでに時代遅れに、車体の老朽、私自身の仕事も考慮して競技を終了することになりました。

今現在、WRCの車両が公道で昼間ラリーができるということにもなった最初の一歩だったのでしょう。
日本選手権のエントリー選手名を見ると世代交代が遅く感じます。
2世の名前も見えます。
ラリー自体は社会に認められてきているのですが入門のハードルは高いのでしょうか。

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訂正と追加 マツダ ルーチェレガート (ストックカーレースの思いで) [車ネタ]

マツダ ルーチェレガート (ストックカーレースの思いで)

日本ではまだストックカーレースは行われているのだろうか?
1980年代前〜中期ごろ
モータースポーツにちょっと限界を感じ始め都会での生活を引き払い田舎にかえって2、3年たったころ後輩のT君が遊びに来てくれた。
彼は優秀なレーシングメカニックでもあり自分でもレースをして何度か表賞台にも登っていた。
その彼が「いまストックカーレースに出ている」と「マシンはルーチェレガートで作っている」と話してくれた。
そして、作るに当たって相談があるからとやってきたようだ。
実際は、私など、なにも貸せるような知識も無いのでウナギをおごってやるだけでした。

ずいぶん前に書いた記事ですが最近アクセスが多いことに驚いています。
ストックカーでの検索もあるようです。
そんなこんなでレース結果など記憶だけで書いてあり、いい加減なところも多いので気になるところを訂正しておかないとと、実家に帰った時、記事が載っていたオートスポーツ誌を探してきました。
資料は1986.7/1号からの引用になります。
86 GRAND NATIONAL STOCK CAR RACE
レースの内容は
 序盤戦、トップはカマロとセカンド、ルーチェの争いだったが9周目にカマロが周回遅れとからんでリタイヤ。
優勝はルーチェに。

私の記憶では勝った記憶ではありませんでしたが優勝だったようです。ドライバーのS氏すみませんでした。
リザルトは車名のみとします。

グランナショナルストックカーレース・GNクラス結果 20周
1位 97 マツダオート東京中央(営)ルーチェ    39分25秒36 20周
2位 69 DRロバートRファイヤーバード        39分46秒00 20周
3位 17 TEAM+α86S           
4位 55 seiken東田R430
5位 34 ノリちゃんグレード430
6位 8  401カマロby石垣

PP 97 マツダオート東京中央(営)ルーチェ 1分46秒32

3位以下は周回遅れでした
下位クラスとの混走レースですが出走台数が書いてありません。
ルーチェのフロントからの写真がオートスポーツ誌に載っていました。
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オーバーフェンダーが迫力あります。
メッキバンパーが素敵ですね。
縦4灯のモデルはマスクに迫力があります。
アメリカンレースには似合います。
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「家族」という昭和的な素敵な名前 (ファミリアBD1031) [車ネタ]

マツダファミリア
ファミリアロータリークーペ小さな車に強心臓。GTRに敵わなかったが脅かす存在だった。
マツダのHPを見てもファミリアのページの表紙はロータリークーペのあの後姿。
でも最も成功したのはファミリアHB(ハッチバック)
型式BD1031.BD1051だろう。

私にとってこの車種はとても大事な車になりました。
B110サニーでいろいろなクローズドイベント等のダートトライアル、ラリーに参加してました。
でも、公認イベントには出れない車種(ホモロゲがない)では物足りなくなってきました。
そんな時マツダで出した車はFFのハッチバックでした。
このファミリアHBの前にはファミリアAPという車がありました。ファミリアAPは映画「幸せの黄色いハンカチ」で主役の武田鉄也が乗っていました。でも正直かっこ悪いという印象がありました。
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この車がヒットの兆しを見せる前会社の上司から買わないか?と聞かれました。
このファミリアが発表されてからモータースポーツに関してのアナウンスは無かったと記憶しています。
サニーを購入するするときの動機、「お金がかからないよう」と言うところに心がうごきましたが、新車です。
新車を買うお金は持っていませんが月賦と言う強い見方が。(クレジットではなかったと記憶)さらに追い討ちをかけられ在庫整理、社員販売というダブルのお買い得価格で確か70万円台でした。
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それまでの私はドライバーとしては自分でもヘボとわかっていました。
ファミリアを購入してとりあえずアンダーガードとロールバーを作ってくれると言う知り合いにやってもらいました。
まだ、何もファミリア用のスポーツパーツも出回っていないのでこれだけは作らないといけません。(またお金が・・・・)でも安心。寸法取りで制作費は実費のみでアルミのロールバーにもかかわらず大変安くやってもらいました。
タイヤはサニーのものが使えます。
この車で初めてイベントに出たのはクローズドの林道アタックと記憶してます。
ラリーのSSを想定したイベントで何本かの林道を走ってタイムを競うものでしたが。1300ccクラス以下は当時はKP61スターレットがまだ全盛でした。
そんな中でビギナークラスだった為かなぜか勝ってしまいました。
それでも優勝は初めてで大変うれしかったのを覚えています。小さなイベントでしたがこの優勝がきっかけとなってちょっと自信がつきました。
このファミリアのハンドリングはすばらしく、下手な私が運転がうまくなった気がしました。
この車で公認のダートトライアルに出たときはまだファミリアがイベントに出ていなかったときだったので人が車に集まってしまいとても恥ずかしかった思い出があります。このときの成績は確か下からなら表彰台ものだったと記憶。
3年くらい乗った記憶がありますがはっきりと覚えていませんが、この車のおかげで実力以上のイベントでもあった準国内(または国内)格式の「MSCCラリー」にも出させていただきました。(成績は言いたくない・・・恥ずかしくて、でも完走)
ファミリアではいろいろ勉強をしました。
足回りではある程度調整することができたようで、後輪もアライメントが調整できたためいろいろ試せました。
ドライバーとしてメカニックとして私にとってはいい車でした。
タイヤは私はダンロップの52Rが一番の好みでアドバン、なども使いましたが感触が合いませんでした。

1年もしないうちにファミリアHBは爆発的なヒットになりました。1500ccのサンルーフ付はサーファー(陸サーファー)に支持されました。サンルーフも人気でしたが1500の最高グレードに採用された内装はダッシュボードからドア、後部のトリム、リアシートまで一体感のあるデザインで非常に評判が高く、当時では国産車では殆ど無かったのでは無いでしょうか。

モータースポーツではダートトライアル、ジムカーナーで活躍しスポーツパーツも揃いました。
プロダクションレースも行われていました。
マツダで初めて(だったと思うが)100万台以上を売りました。
あのトヨタがファミリアに対抗するため新機種、カローラFXをだしたりしてました。

私は結局最終的にはまたお金がかかる結果になったのは間違いありません。
その点は何にも勉強できてない私でした。
ファミリアはもう一台セダンのタイプも買いました。最低グレードでした。
セダンではジムカーナーなどを楽しみました。
安いタイヤはいてキーキーとタイヤ鳴らして走ったり、派手にスピンして特別賞なんかもらった記憶があります。
お尻があるせいかハッチバックより動きが緩慢だし重かったかな。
でもスタイルはセダンのほうが好きです。
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12AからA12(サニー デラックス) [車ネタ]

B110サニーは間違いなく名車だろう。
私の中ではスカイラインGTR以上のレーシングカーとしての存在価値がる。
生産が終了してから長い間レースが行われ、今でもサニトラ(サニートラック)を街中でも見かけることがある。
B110からB310へと移行したあとも加えればサニーのレース界での人気は高かった。
安い車体と使いやすいエンジン。
使いやすいとは改造(チューニング)しやすいということ。
素材となるエンジンはそれこそ解体屋にはいくらでも有ったし、安いチューニングパーツが出回っていて、たくさんのチューニングショップが存在していた。
サニーやエンジンの話は私のあいまいな記憶よりネットで検索すればくわしい話が出てくるのでそちらをみてください。
ここでは私が体験した記憶の話ですでに数十年前なので記憶も怪しい。間違っているところもあるのでご勘弁。

サバンナを橋から落として全損にしてしまい、お金も無くなった。
サバンナをまた買うより今度は少しはラリーに向いている車が欲しいと思った。
サバンナのパーツやエンジンを売り飛ばして何とか買える車を探していると中古車の営業がサニーがあるという。
サニーのスポーツタイプは「GX」というグレードだ。
GXは5速のクロスミッションにSUのツインキャブセダンは4ドアのみの設定だった。

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入笠山の合宿で(買ったばかりでラジエターが詰まってオーバーヒートで走っています。)

買ったのは「デラックス」。時代を感じるグレードです。サニーが新車で販売されていた当時のグレードは「スタンダード」「デラックス」「ハイデラックス」みたいなのしかなかったと思います
だから「デラックス」は少しはましだったのかな。
4速、シングルキャブの2ドアの車でしたが即、買いでした。
淡いクリーム色の車体は綺麗で傷や凹みなどは無かったと記憶しています。
見た目ちょっと腰高ですが軽快そうに見える車体はとてもスマートです。
もうすでに年式は古かったと記憶してますが先に書いたとおり、サニーは長い寿命の車だったのできになりません。今でも乗りたいと思うスタイルです。
記憶ではタコメーターがついていましたが、最初からついていたのか、後からつけたのかは覚えていません。
いつもどおりでいろいろな方がパーツをくれます。
当時はプロダクションでサニーは人気カテゴリー。(まだKP61スターレットのレースが始まる前だったのかな)
知り合いのプロダクションのトップクラブの方がツインキャブのヘッドとキャブレターをマニホールド付で譲ってくれました。お金を払った記憶が無いので多分いらなくなったとかでくれたのだと思う。
このエンジンはOHV(カムがエンジンの下についている)なのでヘッドを簡単にはずせるのが魅力です。
当時、私が借りていた駐車場はただの空き地で下は未舗装(砂利もなし)青空と言う場所でした。
ただ広いのが魅力で一台分のお金で3台も置いていました。(大家さんも寛大です。確か地元のやーさんだったような・・・)
そんな駐車場で何度もヘッドをばらすことができたのもこの車のA12と言うエンジンの最大の利点かもしれないです。
同じエンジンですがツインキャブの燃焼室の形状が当然違うので、ピストンがツインキャブ仕様はヘッドが窪んでいます。
その為シングルキャブのエンジンにそのままツインキャブのヘッドを載せるとバルブがピストンに干渉します。
私はばらしてからどうしようか考えましたが、コンプレッションが上がりヘッド削んなくて良いと判断してそのまま付けましたがものの見事に干渉します。
全部くみあげ始動したとたんカンカンと高い音がします。直したいのですがその日は日没サスペンデットです。
動いているし壊れる様子も無いのでそのまましばらく乗りました。(恐ろしい)
数日そのまま乗りましたがさすがに怖い。けど・・・、
ピストン買う金もないし余っていないしどうしようか考えて奥の手です。
またヘッドを開けて見るとピストンの頭に綺麗にバルブが当たっています。細い三日月形状の部分だけがカーボンの付着が無く光っています。
そこで先輩から借りたリューター(ドリルに付ける研磨道具)であたっている部分を慎重に削ります。
多く削るとピストンが薄くなって穴があくこともあるのでほどほどにしか削れません。
それでも何とか形を作ることに成功してくみ上げれば今度は音はしません。
その後このピストンで数年間使えたのはきっと奇跡ですね。
付けたしですが、エキゾーストマニホールドはやはりツインキャブとシングルは合いません。
ボルトの位置が違うだけだった記憶が定かではありませんが、エキゾーストはマニホールドからマフラーまでトラスト社製に変更しました。鉄製の青色の耐熱塗装がしてありました。かなりうるさい迷惑をかける代物だったです。その時の皆様すみませんでした。

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所沢サーキットでのダートトライアル(記録ではクラスの中盤と書いてあります。そこそこだった様子1979.12月)

サニーはサバンナに無い素直なハンドリングとバランスが取れた車体でダートトライアルに何度か出ました。
ドライバーをクラブの先輩でラリー(クローズド)にもでました。
ダートでジャンプ後リヤーのウインドウが飛んでいったり、SUキャブの可変ベンチュリーが引っかかって全開から戻らなくなったりと思いでは多い車です。
車の運転の基本とエンジンのチューニングの基本が覚えられるいい材料だったと思います。

魅力的なB110ですが数年後、後輩が買った値段で欲しいというのでその後輩に譲りました。


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S124A  速い!安い! 吉野家と言われた車 [車ネタ]

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サバンナGT
初めて買ったロータリー車です。
今でこそロータリーもそこそこ値が崩れなく、人気もあるようですが当時はロータリーと言うだけで安かった時代。
しかし速いと言うことでレースでは人気がありました。
プロダクションではカペラが人気。サスが良かったですね。スタイルもカペラのほうがいいと思いますが。
レースと言えばエンジンのメンテナンスも安くできることも良かったですね。解体屋さんに行けばいくらでも手に入るエンジンは特殊工具をなんとか作ったり調達できれば意外と簡単です。
よく「族」関係の方々に人気がありました。
安い、速いということで吉野家といっていた人もいました。

ロータリーと言えば以前ファミリアと、ルーチェレガートのことを書いたことがあります。
ファミリア、ルーチェは自分では持ったことがありません。

ラリークラブに入ったのは19歳のとき。乗っていたのはフロンテGT(最初はGLでしたが)その後1,2年してからこのサバンナに乗り換えたと記憶してます。
3点式のロールバーとサスだけで当初は乗っていました。
その後先輩の知り合いで当時ではダートトライアル、ラリーでも活躍した(最近でも数年前の日本アルペンラリーに出ていた左足ブレーキの達人と言われた方)方が持っていたクロスミッションと4ピニオンLSD付の4.8のファイナルASS’yを確か3万円くらいで譲ってもらいました。
この4.8のファイナルはもともと燃費が悪いロータリーを更に悪くするのは当然で、燃費が良くて5km/l弱、普段は3km/lでした。給料が10万円前後の時代、月3万くらいガソリン代に使ってました。その後耐えられなくなって普段は軽(ダイハツフェローマックス、スズキフロンテバン)に乗ってましたが・・・・・。
当初はスポーツコーナーの純正サスキットを前後使っていましたがフロントがストラットASS’yのガスショック(今ではガスショックなどと言う言い方もなく当然ですが当時はドガルボンショックは一般車には一部だけの時代です)は高いしちょっと堅いと言うことで、後半はナイト製のカートリッジに変更しました。これはTE27用(レビントトレノ)のTRD製でした。
サスペンションを替えると今度はキャンバーがつく。これを解消する為には延長ロアアームに変更しなくてはということでまたこれを購入です。当時のトヨタ車はロアアームはプレス式のロアアームなので切って溶接して延長と言うのが簡単でしたが、サバンナのものは鋳物製なので溶接できるけど心配だからと言う忠告を受けスポーツキットを買いました。すると今度はスタビライザーの取り付けが大変です。
サバンナの足回りにはテンションロッドは無くスタビライザーと兼用です。(KP61と同じ足回り)スタビライザーが太いし横に広がりにくい。取り付けが大変と言う思い出があります。
ブッシュ類も色々試しました。ウレタンがいいといえばウレタンを買い、次はテフロンだと言えばテフロンです。
旋盤でもあれば自分で材料かってきて削ればいいのですが当時はそんな術がありませんでしたので高い部品を買っていました。
ヘッドライトはシビエの4灯ですがこれが簡単に盗まれる構造でやはり私もやられました。乗っていた2年で一回やられただけで済んだのは幸運だったのかもしれません。
写真では補助等を付けていません。当時私はラリーではナビをやっていました(全く用をなさないナビでした)。
その為この車で出る競技はダートトライアルくらいなので補助等はまだ付けていませんでした。

サバンナGTはRX3といわれますがGTが出る前の10Aエンジン搭載のサバンナと分けるので当時のレースで使っていた呼び名だったと記憶してます。もともとは開発コードなのだそうです。
サバンナGTがレースに出た当初はサバンナGTと書いていました。
レースでは100連勝とか大活躍した車種ですが、ラリーではあまり活躍できなかったようです。
パワーは良いですがラリーはやはりシャシーが勝負なようでサバンナは挙動がうまくコントロールできないようです。
もともと私はへぼドライバーの部類なのでこの車が使いにくいとはわかりませんでした。この後、他社の車に乗って初めてこの事実を確認することとなりました。
写真の車は白ですが後輩が板金や始めたとかで「安くていいからオールペイントさせて」というので塗ってもらいました。もともとはグリーンメタリックだったと記憶しているが定かではありません。

写真のときは、前日から河口湖に集まって合宿を行いました。とても寒かったのを記憶しているので冬だったのでしょう。
この日は何回か走った後ボンネットが動くしがたがたと音がするのでボンネットを開けると、ストラットマウントのゴムが切れてダンパーのシャフトがボンネットをつついていました。
この後乗り換える車のストラットマウントを定期的に交換することを覚えました。

一生懸命練習したせいか?、フロントのシャシーフレームがちょっとずつずれてきたので(フレームが弱いと言うことは事実でフレームはいたるところ補強してました)だめになる前に後輩にノーマル状態にして譲りました。
そのお金で今度は低公害車のサバンナGLⅡというセダンを中古で購入。
これまた、ロータリーのGT以上に人気の無いセダンと言うことで安く購入です。走行距離も少なく、綺麗。
低公害車と言え年式が新しいものでパワー的にも見劣りしません。
何といってもパーツはすべて使えます。
ところがいいことは続きません。
購入から3ヶ月後、雨の夜箱根(だと記憶)の白金林道に練習に行き橋からダイブしました。3~5mくらいあったでしょうか。
ヘルメットに4点式シートベルトで乗員2名には怪我はありませんでしたが車はくの字になってしまって全損でした。
一週間後に車を引き上げに言ったところ黒色ワイパーアームだけ盗まれていましたが、他のパーツのほうが高価だったのでほっとしました。
引き上げた後パーツは全部はがしてうっぱらってそこそこのお金になったときは一安心でした。

ちなみにサバンナは曲がらない(強アンダー)が有名でしたが、橋から落ちたのは自分のせい。
雨で滑りやすい道でコーナーでブレーキを踏みすぎアンダーを出してしまいそのまま橋からダイブです。
(橋といっても欄干も何もなかったです。)

先日、家の近所で走っていました。今中古なら相当高いでしょう。
懐かしく写真を探してしまいました。残っているのはこの一枚だけ。
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トヨタ2000GT [車ネタ]

名古屋にて
ミッドランドスクエアの一階トヨタコーナーに展示してありました。

トヨタ2000GT
改めてみると小振りでたのしそうな雰囲気です。
でも、現代の市販車のセダンのほうが高性能なんですね。

この車に関しては私より詳しい方は多いでしょう。

フォグランプが懐かしいヘソ付きです。(なんかマーシャルのような気がしますがメーカーはわかりません)

 

ボリュームのあるフェンダーは往年の名レーサー滝進太郎氏はドライバーズシートに座ると圧迫感があると雑誌「モーターファン」のインプレッション記事に書いてあったことを思い出した。

車はきれいに保存されていますがホイールの汚れに年輪を感じます。

この当時のワークスチューンのことなのでマグネシュームホイールでしょうか?

夕日が沈んで一日が過ぎていきます。


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車を選ぶ基準(私の場合) [車ネタ]

車を選ぶ基準は私は何を目安にしていたのだろう。
選択理由を考えながら私の車歴を思い出してみよう。

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