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富士スピードウェイ リニューアルオープン!! (古い写真から) [車ネタ]

今日(2005/4/10)は富士スピードウェイの「リニューアルカーニバル」でした。
こちらのサイトFUJI SPEEDWAY Renewal Open !から落成式の記事にTBを頂き、思い出しました。
すっかり失念してました。
これから本格営業になるのですね。
と言うことで
記念に思い出を記事にしておきます。

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マツダ ルーチェレガート (ストックカーレースの思いで) [車ネタ]

日本ではまだストックカーレースは行われているのだろうか?
1980年代前〜中期ごろ
モータースポーツにちょっと限界を感じ始め都会での生活を引き払い田舎にかえって2、3年たったころ後輩のT君が遊びに来てくれた。
彼は優秀なレーシングメカニックでもあり自分でもレースをして何度か表賞台にも登っていた。
その彼が「いまストックカーレースに出ている」と「マシンはルーチェレガートで作っている」と話してくれた。
そして、作るに当たって相談があるからとやってきたようだ。
実際は、私など、なにも貸せるような知識も無いのでウナギをおごってやるだけでした。

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マツダファミリアロータリークーペ 1975年  [車ネタ]

1975年は忘れられない年です。
クルマが好きでレースに憧れていた時代。
まだ、レースはお金持ちのものと信じていたころ。
就職をしたばかりの私を待っていたところは私にとって天国だった。
富士フレッシュマンレースというシリーズがありました。
今みたいにいろいろなカテゴリーが無い時代のレーサーの登竜門だった。

マシンはマツダファミリアロータリークーペ(型式M10A)
参考写真
私達は通称で「エムト」(M10)と呼んでいました。
TS仕様のそのマシンはすべて手ずくり、その時みたレースマシンは時代遅れのクルマだった。
真っ赤に塗られボディーのまん中に白いストライプがはいりワックスがかけられ光っていた。
前後のフェンダーをたたき出してあったがタイヤはダンロップの「G5」当時プロダクションレースで使われていた細いバイアスタイヤだ。
レースに使うタイヤ(鉄のワイドホイール!!にスリック)は大切に保管してあったようでG5は移動用だった。
シートはオートルック製のバケット。ステアリングはノーマル。
ダッシュパネルは残されスピードメーターもそこについていた。(動きませんが)
ロールバーは三点式
シートベルトはオートルック?の4点式。
トランクをあけると100Lの安全タンクが置かれていて横にフューエルポンプが二個並列に並んでいる。
ボンネットの中は10Aエンジンがちょんとのっている。
エンジンの前のクーリングファンははずされていた。
ニッキ製ダウンドラフトキャブがついていた。エンジンはサイドポートだがブリッジで使用していた。(オーナーのドライバーがエンジンをみずから作っていたので自信があった様です)
マツダは当事からフロントウインドウは合わせガラスだったので、レースでもノーマルでOKでした。その他のガラスはアクリルに変更してました。
ミッション、デフはスポーツキットの様でした。(詳しくは聞いていなかったので詳細はわからず)デフは一応LSDをつけていたと思います。(頻繁にオイルを交換していた為たぶん)
ファミリアのサスはフロントは今もあるごく普通のマクファーソンストラット型、リアはリジットでリーフスプリング(重い!!)ショックアブソーバが斜についていたため、RX−3のノーマルをボディー側を加工し取り付けていた。
リアサスはかなり苦労していたようだ。
何回もばらし枚数を増やしたり減らしたり別のを探してきたり
していた。(ファミリアのリアサスはワークスの時も大変のようでJAFGPのTSクラスのレースに出ていた方に聞いたのだが「ヘアピンで犬のしょんべん走りだった」といってました)

はじめてのレースがいつかは忘れました。
車検時、シンナーでエンジンルーム周りとミッション、デフまわり丹念にオイルのにじみを拭き取る。
クルマを押してスターティンググリッドにつく間コース場を歩いた感動は今も忘れない。
レース内容はというと、すでにRX−3が活躍していた時代。
スポーツコーナーチューン車が出て来る中(上位のRXー3は12Aエンジンのペリフェラル車)中位を維持しているくらいでした。(出走車が15〜20台くらい)
まあ、健闘していたと思います。

写真は一枚も無いです。残念です。

マツダファミリアロータリークーペは1970年JAF GPのサポートレースでスカイラインとの競り合いを初めてみた時その姿に憧れていた。
300Rのたちあがりを三台のGTーRにおさえられて走るレースは迫力がありました。
まだ、サイレンサーの装着義務が無いのでその音は豪快です。
サーキットの安全対策がおざなりのころ、みている5mくらい前を走っていました。
参考
http://www.mazda.co.jp/history/familia/history/history2.html
http://www.mazda.co.jp/history/familia/sports/index.html

追記
2005/1/26 08:25


親父のくるまスズキフロンテ(63〜70年頃まで) [車ネタ]

私の父は今は80才を越えているが現役のドライバーだ。
危ないと言う方もおられると思うが自覚して空いている道路を選んでいるようだ。
ひいき目かもしれないが、私からみても安心できる常識のあるドライバーだと思う。
年寄りだが、のろのろとは走らないので交通の邪魔にもならないだろう。

我が家では私がものごころついたころ商売をしていた為、トヨタの「トヨエース」とラビットの125っcのスクーターがあった。
その間も日野のヒルマンも持っていたがあまり記憶が無い。(短期間だったようだ)

その後、軽自動車のスズキのフロンテを乗り継いだ。
最初はフロンテバン(型式FE)
参考写真はセダン
FFだった。いまみると小さい。
思い出すとボンネットをあけるとエンジンルームの上の方のすみにガソリンタンクがあった。
燃料ポンプは無く落下式!!さすがバイクメーカー。
燃料計は無い。ダッシュパネル下に燃料コックのレバーがついてます。
ガス切れをおこすと予備に切り替えてスタンドを目指す、そんなクルマでした。
我が家は5人家族でした。小さい子が三人でもやはりきつかったようで、父がリヤ−シートを改造して大きくしていた。当時は軽自動車は車検が無かったので改造三昧だった。
自動車雑誌も改造記事があったが今みたいにパーツの組み込みではなく、どのように部品を作るか、または他メーカーの部品を流用するかだった。
そんな時代でした。
私を最初に鈴鹿に連れっててくれたのもこのクルマでした。

追記
参考写真のフロンテの写真を見ていると我が家のとはずいぶん違います。
早速、父に確認したところ、ウインカーの位置が違う、サイドウエストモールはついてなかったとのこと。
フロントグリル形状も違うと言ってます。
追記2
空冷2気筒2サイクルエンジン
ヒーターはありませんでした。ラジオはついてました。


BMW2002 [車ネタ]

先日仕事の途中でBMW2002を見かけた。

20年くらい前に中古車を購入して一年くらい乗っていたことがある。
2ドアで簡素なデザインは今も美しく気品に溢れている。(記憶ではジウジアーロのデザイン)
私が買ったのはシングルキャブの右ハンドル仕様でした。ミッションは3ATでした。
標準よりワンサイズ太いタイヤを取り付けた為リヤ−フェンダーにタイヤが擦った為、フェンダー内部を板金屋さんにたたいてもらいました。
買ってすぐエンジンのヘッドを一ミリ程度削った記憶があります。
その時インマニについていた、ウォーターホースの取付部が割れて泣きそうになったりしました。
(先輩の助けもあり無料で修理をしてもらいことなきをえました。)

マルニイを買った動機は今は思い出せないが、その走りの良さは今も覚えています。
いつも走る道をなめるようにスムーズに曲がってくれた時は「これがいい車の走りなんだ」と感動しました。
それまで、車を買うとすぐに内装を剥ぎ取っていた私が一生懸命に内外装をみがいて、友人に「どうしたの?」と聞かれてしまったりした。
その友達の新婚旅行の見送りに成田に行った時は、検問でトランクをあける事ができずいろいろと調べられたりもしました。あの時は汗をかきました。

ほぼ一年乗ったところで友人の知り合いの女の子がぜひ欲しいとの事で買った値段で譲りましたが、その2週間後ミッションの内部がバラバラになり一騒動がありました。

一瞬見かけたBMW2002。
いろいろ思い出す懐かしい一台です。
私が乗っていたのと非常に近いかたちのBMWの写真が載っているページがありました。
http://www.enthuno-mori.at-server.com/bmw/20040127bmw/


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