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遅くなったが正月は「硫黄島からの手紙」 [映画]

今年になってやっと記事を書く気になってきましたがなかなか本格始動とは行かない。
仕事はあまり正月には関係なくやっていたからかもしれない。
それでも通常営業ではなかったので休みボケに近い状態が続いてしまっている。
むしろ本格休業にできたほうがきりがついていいのかもしれない。
それでも生活は無理やりにでも戻ったが、ブログのほうはなかなか書けないでいた。
パソコンの前に座るのだが記事についたコメントの返事すらかけなかった。
コメントをいただいた皆様申し訳ありませんでした。
本年もよろしくです。

さてさてそれでも元日だけは仕事もすることも無く家人と映画を見に行った。
「硫黄島からの手紙」
もうすでにいろいろなところで記事になっているのでいまさら内容は紹介するまでも無い。
感動は無かった。
ただひたすら淡々と見てしまった。感動するところは無かったのか。自分に聞いてみてもよくわからない。
しかし、つまらなかったわけでもない。むしろ集中してあっという間にエンディングを迎えてしまった。
場内は年齢層がかなり広かった。
上は70歳くらいか下は中学生くらいだったろうか。昼間に見に行ったのでかなり若い人もいたようだ。
隣には60歳だいの男性が家族で来ていた。
男性は映画を見ながら相槌を打ったり文句を言ったりしていた。
きっと男性は戦争を体験した人だろう。軍経験はないだろう。子供時代に、内地で経験をしていると思う。

私の父の戦争体験は普通の方とは違っている。
中学校を中退すると陸軍の航空研究所(名称は不確か)にコネで就職。本人は技官になりたかったようだ。
16歳でシンガポールに軍属として研究所の一員としていった。
シンガポール進攻を経験している。
終戦前年に現地で徴兵を受けそのまま入隊となったが運良く部隊長の当番兵になり軍隊のつらい部分は短く済んだらしい。
終戦後は捕虜になりそのときは餓死寸前になったそうだが、よその戦地やシベリヤ抑留のhなしを聞くたびに「楽だったよ」と自らの軍隊生活のウンのよさを口にする。

私の父からは戦争の悲惨さの話は出てこない。
戦闘部隊でもなく、技術者集団の中で海外生活を経験したインテリに囲まれていてむしろ青春の懐かしい思い出のようだ。
そしてこの部隊では戦争に関してはかなり否定的だった様だ。

母はまだ中学生くらいのとき横浜の空襲を経験をしている。
その後は北海道に疎開をして冬の北海道のつらさを話してくれた。
戦争の悲惨な話は内地にいた母親の話のほうがかなりつらいものだった。
私の戦争に対する身近な話はこの両親のものに基づく。

映画館のとなりの男性が中村獅童演じる「林」が特攻を決意した場面で「卑怯者」とつぶやいた。
その言葉が耳に残った。
「林」は日本軍の象徴的な人物だ。
太平洋戦争を描くときよくあるのは日本軍の凶暴な部分だ。
精神訓だけで戦おうとする日本軍がよく描かれる。

私は「卑怯者」という言葉がとてもひっかかた。
「林」はいやな奴だ。私だったら後ろ玉でも食らわすかもしれない。
でも映画の中の彼を「卑怯者」呼ばわりできるのか考えてしまった。
あの状況の中正常な判断ができるのだろうか。
暖かい映画館の中でポップコーンを食べながら見ている人に「林」は卑怯者呼ばわりされたくは無いだろう。
家に帰り家人の母に映画の話をしたら子供時代の戦争の悲惨な体験の話がはじまった。
その言葉は戦争をした一部指導者の非難に始まり日本軍の非道さに及びそうになったので話をやめた。
戦後すぐ教育を受けた人は戦中の教育をすべて否定されたのかもしれない。
最近は太平洋戦争の意義を肯定する意見も出てきているようだ。
戦争を肯定する気はないが否定もできないことも事実だ。矛盾を埋めることは今の私にはできない。

硫黄島の戦いで亡くなった人は犬死ではない。
彼らは自らの命で日本の国土を守ろうとした。
玉砕に関しては今の社会ではありえない。
しかし当時の軍人に今の尺度での考え方で批判するのはやめたい。
当時の正義を彼らは全うしたに違いない。

映画は戦争史というより人物ドラマだと思った。
画面の中の悲惨さに比べ心に響くものが穏やかだったことは素直に映画を受け入ることができた。
この気持ちが感動だったのかもしれないと今思った。


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